若専親父のエロエロ人生・思い出話

不細工な容姿のくせに若い男に目が無いオヤジです。いつの間にかゲイ歴約30年。これまでの体験談や思ったことを徒然なるまま、赤裸々に書いていきたい。同じような趣味趣向の同朋の方々、年齢不問で同時代を生きてきた方々、是非コメントの書き込みをお願いします。互いに思い出をシェアできると嬉しいです。

カテゴリ: 新宿ビジネスイン

俺は体を拭きながら色々なことを妄想した。頭の中は淫乱なことだけで一杯になってて、正直、誰でもいいから掘られたい気分だった。キマってる時はケツが疼くから。。。さっきの親父の太マラが目に焼き付いていて、あれでガン掘りされる期待で淫乱気分が高まった。俺のマラは勃起したままだが、勃起してる感覚がなかった。ただ、裸でいることに自分で興奮してた様な気がする。

俺は浴衣を手に持ったまま脱衣場を出た。誰もいなかったが廊下をマッパで歩く。階段を上がると親父が待ってて、俺がマッパできたのでびっくりしたようだった。親父も相当興奮してたんだろう、待ちきれずに二階の階段脇で俺の下半身に抱きつき、俺のマラを口に収めた。近くに誰もいないとはいえ、明るい廊下でやるのは興奮する。親父も同じで、本来ならチン毛が生えてる場所を手で何度もさすりパイパンの俺を確認しながら、俺の亀頭を口に含んで竿の部分をしこる。俺は自分の乳首を抓って快感に浸った。

その時、部屋から小太りで無精髭が濃い親父が出てきた。俺らに驚きつつも近づいてきて、俺の手を払いのけるようにして感じる乳首に吸い付いた。俺は思わず喘ぎ声をあげる。そして二人に押されるようにして部屋に入り、俺は親父の太マラをしゃぶらされた。俺の無防備なケツは無精髭親父の目の前に突き出されている。無精髭親父は俺のケツを執拗に舐め回し、指を一本二本と挿入する。そして最後は俺に覆いかぶさる様にして俺のケツにマラを突き刺した。しばらくして親父と交代。2、3回交代で掘られたか。勃起症の俺のマラは立ちっぱなしで、親父たちはチン毛の無い俺の下半身だけでなく、それにも興奮したみたいだった。親父たちは俺のケツと口の中にザーメンをたんまりと注入した後、部屋を出て行った。マッパな俺は仰向けのままその場でしばらく放心状態で動けなかったと思う。その日はちょっと効きすぎたか。

媚薬の怖さとでも言うか、チン毛が無い羞恥行為に興奮した俺。不細工な親父達のマラをしゃぶり、そのマラをケツに入れられて感じ、喘ぎ声をあげる。 普段なら敬遠する様な親父でも、誰でもいいからケツを掘られたい気分になる。明るい場所で勃起したマラを見られることにも興奮した。まぁ発展場の中だけの話ではあるが。

2、3センチほど毛が生えた時もエロい。 竿の上に少しだけ生えてる時にも発展場に行った。

剃り毛は興奮するので一時期止められなかった。 

経験者はわかるだろうが、陰毛を剃ると生えてくる時にチクチクする。少し生えた陰毛は見た目にも良くない😅。それで、俺は一旦全部剃ったあと、生えてきた短い陰毛を全部抜くことがあった。抜くと痛いのだがなれてくると、その痛さがむしろ快感に感じられるようになった。1日に200本以上も抜くことがあった。抜いてしまうと生えてくる時のチクチク感が抑えられて、見た目もスベスベでエロい。除毛クリームで処理したこともあるが、あれは良くない。生え際のチクチク感は少ないが、毛がもろくなってるので根元から抜けずに切れてしまうのだ。

黒々とした陰毛にエロさを感じる人もいるだろう。俺もどちらかというと毛深い方が好きだ。西洋人は陰毛の手入れをする人が多いと聞くが、アジア人はそうでもない。銭湯や温泉に行っても無毛だけでなく明らかに手入れしてる大人を見ることはまずない。 ハッテン場ではたまに剃ってる人を見る程度だ。それはそれでエロいのだが。。。

キメた勢いで剃ってしまい、数日後に生え出した短い毛を風呂場で全部抜いた。多分、200本以上はあったかもしれない。玉袋の毛を抜くのは痛いが、それも全部抜いた。できあがった無毛の股間に興奮してキメる。いつもの白い粉末をいつものようにコーヒーに入れて飲む。15分くらいすると効き始めたのがわかる。正常心ではいられなくなって、俺は新宿に向かった。山手線に乗ってる客が皆エロく見えた。新大久保駅で降りてゆっくり歩いて新宿ビジネスインに向かった。

開店間もない時間だから客はほとんどいない。 浴衣に着替えて脱衣場に行くと、エロそうな親父が風呂から出てきた。前にも見かけたことある親父で、その時は互いに敬遠する感じでヤルことはなかった。俺の股間は既にムクムクと大きく膨らんでて、すぐ隣に居た親父はそれを見逃さなかった。親父は股間を隠すこともなく、いや、むしろ俺に見せつけるようにして体を拭く。まぁ、それだけ自慢のマラだというのはぱっと見ればわかる。

俺は浴衣を脱いだ。親父は俺の後ろから俺の全裸を眺めていたのだ。俺のマラはギンギンに勃起していたが、それを隠すことなく親父の前を通って風呂に入った。風呂の入り口にあるシャワーを立ったまま浴びている時に親父が入ってきた。 

「兄ちゃんスゲーなぁ」そう言うと親父は俺のマラに手を伸ばした。そして、その場でシャワーを浴びながらシャブられる。キマってる俺はメチャクチャ感じて少し声を上げながら目をつぶる。親父が立ち上がると、親父のデカマラは既に勃起してた。俺はそれを握って太さを確かめながら、親父が乳首を甘噛みするのに感じた。

親父が「二階の部屋に行こう」と誘い、先に風呂を出た。 俺が脱衣場に出た時、親父は既に浴衣を着て俺が出てくるのを待ってたようだ。俺が出てきたのを確認して、勃起したままの俺のマラをぎゅっと握ってから脱衣場を出て行った。

(つづき) 

媚薬(あえて具体名は書かないが😏)を発展場で初めて使ったのは新宿ビジネスイン。始めた頃は効きがストレートで自分じゃ無い自分に完全に変わることができた。羞恥心が飛んで何をしても恥ずかしくない・・というか、むしろ羞恥行為に興奮してエスカレートしていく感じだった。全身が性感帯になったようで、何をされても気持ち良くて、やられてるときは頭の中が真っ白になって俗世間のこと全てが飛んでしまったように思う。そして、抜けた後、何とも言えない空虚感と後悔。意識はしっかりしていただけに、思い出すだけで恥ずかしかった。そんな繰り返し、だけど止めようとは思わなかった。

媚薬そのものに中毒性・習慣性があったかどうかはわからない。快感を求めて発展場に行き、そして媚薬を使ってたのだ。新宿ビジネスインによく行くようになったのは閉館する前3年位の間だっただろうか。週末に行くことが多かったが、休日が不規則だったので平日にも行った。ずっと通ってたわけでは無く、頻繁に行ってたのは一時期。その時は毎週、多い時は週に3回も行ったことがある。

媚薬の効果を活かすには月1位のペースが良いと言われていた。確かに、毎週使ってると効果が鈍ってきた感じがした。脳が学習して慣れてきたんだろう。それでも、効いてる4〜5時間は普段の自分とは明らかに異なりエロ気分を味わえた。媚薬効果に慣れて行動をコントロールできるようになってたと言ってもいい。媚薬の使用を止めるとエッチしても感じなくなるんじゃないかと言う変な不安にかられたこともあるが、それは取り越し苦労とでも言うか考えすぎだったかな。使わなくなってからも感じるモノは感じた。ただ、エロさは減ったかもしれないが 😝

とある方から匿名でメッセージを頂いた。その方は新宿ビジネスイン閉館前の同じ時期に出入りしてて、懐かしさを感じるとともに、もしかしたら・・・と、その時の状況を書いてくれた。20年近くも前のことで、しかも互いに相手のことを全く知らない間柄。年も取ったし今更どうこうなる訳でもないので、多分・・と返事を書いた。詳細は思い出せないが、俺にも思い当たる節があったのだ。間違いなく、その方は俺がカラダを交えた人達の中の一人だったと思った。

このブログには生々しい思い出話を書くつもりにしてるのだが、心当たりのある人からすると過去の羞恥行為を暴露されているようで良い思いをしない人も居るかもしれない。昔のことで記憶が交差してることもあるし、普通では無い興奮状態の記憶は頭の中でデフォルメされてしまってる可能性を否定できない。記憶、思い出が100%正しいとは言えないのだ。

新宿ビジネスインなどの発展場には数知れず行ったが、そこで言葉を交わした人はごく僅かだ。ほとんどの場合、目と目が合って自然となるようになった。あるいは、真っ暗闇の中でどんな人かもわからずに快楽にふけり犯されたのだ。人目を忍ぶようにコソコソと足を運び、快楽だけを求めて性欲解消する場所。それが俺にとっての発展場なんだと思った。

時代は流れていく。新宿ビジネスインも閉館の噂が流れていた。解体が必要なほど老朽化してるとは思えなかったが、数ヶ月ぶりに行ったときは客足が激減してた。元々、そんなに多くの客が来てたわけでも無いのに、それが更に減ってて、常連さん以外は皆無、春なのに寒々として何もすることなく独り寝したこともある。

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昔は雑誌などでモデルがポーズを決めた写真くらいしか手に入らなかったが、今では個人投稿写真もSNSなどで見られる。良い時代になったものだ 😆

2012 January

俺が大学生の頃、パソコン通信が流行始めた。電話回線で特定のサイトに繋いで情報交換などするのだ。ゲイ専用サイトもいくつかあって、中でも Surf Side は有名だった。20代の半ば頃、そのサイトで知り合った人達と「昼間のゲイライフ」を楽しんだものだ。「ゲイバーに行くのはまだしも、発展場に行くなんて最低!」みたいな雰囲気があって、既に大阪北欧館や上野24会館を経験してた俺は、自分のエロさを語ること無く「そだねぇ〜」と嘘をついて話を合わせていた。まぁ良い子ぶってたわけだ。

その中に俺より少し年上でリーダー格的な人 HAさんが居た。何となく憧れてた。「好き」という感覚だったのかもしれない。グループで一緒に箱根温泉に行ったときは裸になるのにドキドキし、タオルの隙間から憧れのHAさんの股間が見えたときは、何も考えないよう頭の中を無にして平静を装ったものだ。

ある日、HAさんから告白された。「好きだよ、付き合おうよ」と。俺は嬉しかった。けど、俺の口から出たのは「今まで通りじゃダメ?」と言った感じの言葉。その時の俺は誰かと付き合うことに対して抵抗感があった。宇都宮で出会った信一さんの事がまだ尾を引いていたのかもしれない。俺の返事をネガティブに受け取った HAさんは、その後、俺と会うことが少なくなりフェードアウトした。

その時から10年近くも経って、新宿ビジネスインで HAさんとバッタリ再会してしまったのだ。ロッカー室で鉢合わせしたとき、一瞬で HAさんだとわかった。少し老けてはいるものの端整な顔立ちは昔のまま。HAさんも俺のことがわかったのだと思う。互いに声を交わすわけでもなく見なかったことにするかのようにその場を離れた。俺はいつものようにキメてたけど、その日はショックで誰ともヤル気にならなかった。直ぐに帰ろうかとも思ったが、キマった状態だと帰ることもできない。2階の部屋の一番奥で布団をしっかりかぶって防御しながらしばらく横になった。

1,2時間は寝てたのか、しつこく手を出してくた親父に起こされた。俺は少し不機嫌な気持ちでその場を離れて1階に降りた。時間を見ると10時頃。そろそろ帰ろうかと風呂に入って1階の奥の部屋に行ったときに絡んでる二人を見た。太めの親父が細ウケを攻めてる。もしやと思って近づいてみると、その細ウケは HAさんだった。俺は愕然としながら二人の横に座り込んだ。HAさんにも俺の事がわかったはずだ。

多分、俺は親父に掘られてる HAさんを見るのが辛かったんだと思う。いつしか俺も親父に引き寄せられて HAさんと重なる。さっきまで HAさんの中にあったモノが俺に挿入されたが抵抗する気は起きなかった。感じることも無く無表情で機械的に入れられたように思う。俺は貪るように HAさんにキスをした。最初は嫌がってた彼も俺としっかり抱き合う。親父は満足したのか、その場を居なくなったが、俺らは重なり合い、シャブリ合い互いを感じた。

「久しぶりだね、こんな所で会うとは思ってなかったよ」と HAさんが言う。「俺もです」と答えると、「俺ウケだからね」と少し笑いながら HAさんが言った。そしてまた、「俺もです 😅、同じ親父の竿を受けた仲ですね」と言い、二人で笑った。

その夜は帰るつもりだったが、HAさんが泊まると言うので俺も付き合うことにした。10年前はキスすらしたことなかったのに、今はこうして裸のまま抱き合ってる。不思議な感じがした。夢でも見てるかのように気持ちになった。その後、どちらから言い出したかきっかけは覚えてないが、俺は HAさんに挿入して合体した。俺を感じてる HAさんの悶える顔をみて、俺は言い様がないほど愛おしく感じた。しっかりと抱きしめて・・・そしていつしか二人ともぐっすりと寝むりについた。

朝、目が覚めたとき、HAさんの姿はもうそこには無かった。悲しかったが、おそらく HAさんも同じ気持ちで俺にサヨナラも言わずに帰ったんだろう・・・。俺はそう思いたかった。

その後、HAさんを見かけることは無かった。そして程なくして新宿ビジネスインも閉館した。

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ちょいガッチリ系、可愛らしくて優しい顔してます。
顔立ちは HAさんのイメージとダブルかな。

ADR18

週末になると無性に発展場に行きたくなってた頃が何度かある。セックス依存症じゃ無いかと不安に思えるほど週末の夜を一人で過ごすのが怖かった。最初にそういう状態に陥ったのが新宿ビジネスインだ。毎週週末が近づくとそわそわしてきて、土曜日の夕方頃に止められない衝動に駆られて大久保に向かった。唯々、ボーっと時間を過ごして食われるのを待つ・・・。相手は誰でも良かった。肌のぬくもりを感じながら快楽を与えてくれるならば。そしてキメ物が抜けた翌朝、満足とはほど遠い後悔にも似た気持ちで帰宅するのだ。今思うと、なんて無駄な時間を過ごしてたのかと呆れてしまう😅

常連さんは行く曜日が決まってるようだった。同じ曜日に行くと、いつも大体同じような顔ぶれなのだ。行く度に決まって居たのは4〜5人、たまに会う人を加えると10数名は居ただろう。皆、40代から50代、中には60代後半くらいの親父も居て、30代前半だった俺が一番若かったのは間違いない。そんな常連さん達と複数回、多い人では10回以上も関係を持ったわけで、俺って相当淫乱な奴だったんだと今思うと恥ずかしい 😅。中でも、初めてキメた頃に会った親父二人とは、新宿ビジネスインが閉館する頃まで幾度となく会いヤラれた。(媚薬エッチに溺れていった俺(4)

俺は仕事の都合で週末だけで無く平日夜にも行くことがあった。曜日が違うと常連さんの顔ぶれが違って新鮮に思えたこともある。相手は違えどもヤルことは一緒 😝。キメてても意識は意外としっかりしている。キメてる親父は見て直ぐにわかるのだ。雰囲気がとろ〜んとしてるとでも言うか、どことなく落ち着かない感じもする。多分、俺も端から見るとそう見えてたんだろうな。タチ親父の絶好のターゲットになってたのは間違いない。

抑えることのできない衝動に駆られて新宿ビジネスインに通い詰めたのは俺が33歳の頃。月に5〜6回も行く状態が数ヶ月続いた。多いときは週に3回行ったこともある。あの時は、SEX依存症になったのではないかとマジで不安に思った。キメ物がそうさせていたのかもしれない。

最初の頃は毎週行くのが恥ずかしいと思ってた。毎週、常連さんと顔を合わせる事にも抵抗があった。彼らと言葉を交わしたことは一度も無かったが、暗黙の了解とでも言うか、同じ場所で同じように掘られてたのだ。相手によりヤル場所が違ってた。上に書いた二人の親父とは2階の小部屋かその奥の狭い部屋でヤル事が多く、俺がそこに寝待ちしてると来てくれた。

もう一人、俺がキメセク始める前から同じ場所でよくヤッタてた親父がいたのだが、多分、その親父は上の二人の内の一人だと思う。体型やモノの形、大きさからして同一人物なんだろうと思ったが確証は無い。なにせ、暗い場所でやられるだけで普段の姿を見たこと無いのだから。。新宿ビジネスインでは、その親父とやった回数がダントツで多い。入店して直ぐにやられたこともあれば、夜中に寝てるときに襲われたこともある。真っ暗で何も見えなくても、あの親父のモノが俺の中に入ってくると直ぐにわかった。

いつも物静かなのっそりとした親父だった。激しく腰を動かすことも無く、ただ挿入するのを楽しんでるだけのような気さえした。興奮してきてイク前でも声を出すことは無かった。唯々、俺に深く挿入してゆっくりと腰を動かしながら俺の乳首を攻めるだけ。いつも同じパターンだったが、俺は毎回気が遠くなりそうなくらい快感を感じてた。それがケツとマラの相性というものなのかもしれない。親父は気付いてたかどうかわからないが、ケツと乳首を攻められながらトコロテンでイッタことが何度もある。

親父の喘ぎ声を一度だけ聞いたことがある。その日、俺が2階の一番奥の広間に居たとき、親父が俺を見つけて下半身から俺の股間をまさぐってきた。両隣には別のカップルがやり合ってるところだった。キマってた俺は、そのカップルのエロいエッチの様子を真ん中で見ていた。親父は俺を仰向けに寝かせ、いつのもの流れて俺に挿入する。隣のカップルに手を出されながら、俺はいつもより興奮してた。

親父が静かにイキ、モノを抜き出してコンドームを外してるとき、俺は興奮を抑えきれず親父の下半身に抱きついた。そして、さっきまで俺のカラダの中にあったモノを口に咥えたのだ。まだ堅さが残ってて親父の味がした。その時、親父が声を上げた。イッタ直後のモノは敏感になってるから、俺の口の中で舌がモノを捕らえて感じたのだろう。悶えるように仰向けに倒れた親父の股間に顔を埋めて何度も何度もしゃぶった。親父が低い声を上げながら悶えてる。いつの間にかまた堅さを増してきたモノを味わい、俺はその上に腰を下ろした。両隣に居たカップルも俺らを見ている。そして俺の乳首を攻めたり、硬くなったモノを口に含んだり・・。流石の親父も興奮してたのか、そういう行為の間中、喘ぎ声を上げてた。そして声を上げて再び俺の中でイクと、余韻を楽しむでもなく逃げるようにその場から居なくなった。

取り残された俺が両側に居た親父達の餌食になったのは言うまでも無い。あの時は、マジで頭の中が真っ白になって、自分が何をしているのか、何されてるのかもわからなくなった。ただ、その場に居た3,4人に弄ばれ、そのうちの誰かが常に俺の中に入っていたのだけはわかった。いや、キマってた俺はケツにマラを求めてたんだと思う。勃起した親父の前にケツを突きだしてたのだろう。

(つづく)

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引き締まったイイ体、股間のふくらみがエロい。

ADR17

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