若専親父のエロエロ人生・思い出話

不細工な容姿のくせに若い男に目が無いオヤジです。いつの間にかゲイ歴約30年。これまでの体験談や思ったことを徒然なるまま、赤裸々に書いていきたい。同じような趣味趣向の同朋の方々、年齢不問で同時代を生きてきた方々、是非コメントの書き込みをお願いします。互いに思い出をシェアできると嬉しいです。

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久しぶりに訪れたバンコク。俺はその門の前に立ち愕然とした。

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1980年代にオープンし、当時はトレンディーなゲイサウナとして人気を得ていたらしいが、固定客が年齢を重ねると共に、2000年頃にはフケ専、デブ専サウナとして有名になった GG Sauna。正式名称は Grey Gymnastics Men's Club と言うらしい。初めて雑誌の広告に登場したのは Babylon とほぼ同じ時期の1987年なのでオープンしたのは30年以上も前のことになる。

GG Sauna も今年の春頃に閉館した。

建物は確かに古かったが、数年前に来た時はまだ取り壊されるほどの古さは感じなかったように思う。俺が行ったときは平日昼間だったがそこそこ客は居て楽しめたものだ。廃業前の Adonis 2 や Angelo Sauna よりも客足は全然マシだったんだが。。。これも時代の流れというヤツか。

2009年1月、中華街にあった GSM Sauna が火災により焼失・廃業してからは GG Sauna に行くようになった。客層的にかぶっていたので違和感がなく、Babylon のように綺麗でもなく、ほぼローカルのみなのが気に入ってた。GSM Sauna ほど広くもなく客も多くなかったので、デキた経験はさほど多くは無いが、薄暗くなってから2階の個室ゾーン付近の淫乱さは一度経験すると忘れられなかった。

GG Sauna 亡き後は、あの客達はどこに行ったのだろうか。東京でも最近、鶯谷の ICHIJO が閉館して、ICHIJO の客はどこに行ったのだろう・・・と某掲示板では話題になっていた。同じ事はどこでも起きるわけだ。Chakran や 39 Underground は客層、年齢層的に異なるのであの親父達が移ったとは思えない。閉鎖された門の前で色々と考えた。わざわざ街中から離れた場所まで足を運んだわけで、完全にその気になっているので何もせずに帰るわけにはいかない。😅

とりあえず、移転した可能性も考えてネットを検索してみたのだが、GG Sauna に関する話題は皆無に等しかった。代わりのサウナで候補に挙げたのは Silom通りの Heaven と、トンブリ側 Pinklao の Sauna Macho の二箇所。Heaven はよく行った時期もあるので買ってはわかってるが少々遠い。そこで、今回初めて Sauna Macho に行ってみることにした。

タクシーを拾い Pinklao の Central Plaza 方面に向かって貰う。古い案内では以前の場所、Sense Pinklao ショッピングモール裏手が示されているが、現在の場所は Pinklao橋の方に約1km戻った Pata デパートの直ぐ横にある。入口に MACHO と看板が出ていたので直ぐにわかった。

受付でロッカーキーと手ぬぐい用くらいの小さなタオルを渡された。バスタオルではない! その日はアンダーウェアデーだったので、ほとんどの客は下着を履いている。さほど広くない4階建てのビルにはサウナなど一通りのものは揃っていた。個室ゾーンは3階と4階にあったが、個室が小さくベッドが置かれているわけではない。通路は狭くすれ違う相手に触れずに通るのは不可能で、それは GG Sauna も同じだったかな。ここで一番快適だったのは屋上。ベンチ配置と観葉植物っぽい目隠しが微妙で、そこそこの広さもあるので陽が落ちたあとなら盛るのにもってこいの場所だと思った。奥にはシャワーもあるのでヤッテ直ぐに流せるのもいい。

さて、肝心の客層はと言うと・・・GG を期待して行ったのに年齢曹はちょっと若めの30代付近が中心か。体型は細めからかなりの太めまで様々。GG Sauna と客層は全くと言って良いほど異なると言わざるを得ない。とは言え、若い細め好きな俺にとっては都合が良いわけで何人か頂くことができた。😄

一人目は2階でテレビを見ていた坊主頭で可愛らしい顔をした細身君。個室ゾーンでたまたますれ違ったときに手をだしてみると、すんなりとOKだった。奥の個室に入ったのだが、寝そべられるほど広くないものの、正常位でヤルには十分な広さだという事はわかった。ただ、真っ暗だったのでゴムの装着にも手間取った。両足を持ち上げて露わにし、ググッと押し込むと何とも言えない声をあげて感じてくれた。やってた時間は5分もあっただろうか、その子がイッタらしいので終わりになった。ケツにオイルを塗ろうと触ったとき既に濡れてたし、何の抵抗も無く挿入できたので、多分、俺が最初ではなかったのかも知れない。屋上でまた会ったのだが、明るい場所で見てみると可愛い顔付きながら年齢は40歳前後くらいか。

二人目はロッカー室で見たときから気になってた子で、屋上で会って話をすることができた。引き締まった体にギャランドゥがエロくそそる。サッパリした髪型と精悍な顔つきはアノ場所に似つかわしくないように思えたのだが、太めの親父に押されるように個室に入るのを何度も見ていた。あの親父達にあんなこともこんなこともされた後だと思うと俺もお試ししたくなった。旅の恥はかき捨てというが、ダメもとでストレートに聞いてみたら、最初は躊躇いを見せたもののすんなりとOKしてくれた。一番奥の個室に入り行為におよぶ。その子のモノは既に硬直してて、真っ暗な個室でよく見えない中で犯すのが惜しいくらいだった。思いっきりエロく、正常位から松葉崩し、そして四つん這い、立ちマンと体位を変えて何度も突いて、ゴムの中にしっかりと出させてもらった。

屋上に上がり一緒にシャワーを浴びて、ベンチに座って少し話をした。31歳で Sauna には月1位で来ているとのことで、デブ専といってもいい。俺も細い方では無いが、俺のカラダは彼にとっては細すぎるのだとか。普通にイケメンなのに、デブ親父に掘られてアンアン泣かされてる姿を想像するだけで興奮してしまう。人の性嗜好ってほんと不思議だ。

GG Sauna 閉館でショックを受けたものの、それを完全に忘れさせるほど良い思いが出来た1日だった。

かつて、ゲイにとって天国とも言われたタイ。バンコクには GoGoBoys バーが建ち並ぶ歓楽街があったり、数多くのゲイサウナ、そして Men's マッサージなど、ネット上でもそんな話題が沢山あり世界中のゲイを魅了してきた。そんなバンコクでも、ゲイ産業衰退の象徴的な出来事が起こっている。

日本人には特に有名なパッポン通り。その直ぐ近く、Surawong通りを挟んですす斜め向かいにある通称 Soi Twilight(正式名は Soi Pratuchai)が GoGoBoys 街だった。100m程の通りには数多くの GoGoBoysバーやマッサージ、レストランなどがあって、世界中から集まったゲイで賑わっていた。それが、今年の春頃、老朽化・再開発の為に通りを含む一帯が全て閉鎖になったのだ。そこにあった GoGoBoysバーは一部移転した店もあるものの多くは閉店を余儀なくされた。

そもそも Soi Twilight とは何なのか。Soi はタイ語で大通りから別れた“小路”を意味するので、Twilight通りとなる。英語を直訳すると「黄昏通り」となり趣がある。が、それは全くの誤りで、Twilight というバーがあった通りなのだ。

バンコクで最初のゲイバーが誕生したのは1950年代後半だと言われている。そして 1966年頃に「Twilight」がオープンした。指名したボーイをオフ出来るシステムを初めて採用したバーで、日本で言うなら「売り専」みたいなもので、飲み目的ではなく男の子を買いに行くバーだったのだ。その後、次々に同様のバーやエスコートクラブなどが誕生し、バンコクのゲイ産業が繁栄していった。その老舗だった Twilight も 2000年頃に香港系に買われて Hot Male になってしまった。インターネットが普及しだした頃で、マイクロソフトの Hotmail に絡めて名付けられたのは明白だった。こうして、Twilight バーは無くなったものの、通りの通称だけは Soi Twilight として残ったわけだ。

俺が初めて行った GoGoBoysバーは Twilight だった。当時、一番の有名店で繁盛してたのは Boys Bangkok だったと記憶しているが、Twilight は通りに入って直ぐ左手、階段を上った所に入口があり入りやすかった。店が2階にあったのには理由があり、当時も抜き打ち的に警察の取り締まりがあったので、1階の階段上り口に呼び込みを置いて見晴らせていたという話を聞いたことがある。

初めての GoGoBoysバー、白いブリーフをはいただけのボーイ達が狭いステージの上に所狭しと立ち踊っている。ブリーフには番号カードが付けられていて、気に入った子がいると呼んだりオフできたりするのだ。時々、黒服といわれる店員が気に入った子が居ないかどうか確認に来る。ボーイとの交渉も全てやってくれるのでタイ語がわからなくても困らない。2度目か3度目に行ったときに初めてオフした。田舎から出てきたばかりの二十歳過ぎの子だったが、もちろん英語は全くわからず、オフしても会話は無しに飲んで食事してセックスするだけだった。黒服によると、その子にとって俺が最初の客だったらしい。おそらく、セックスの際も教わったとおりに接客してくれたのだろうけど、俺にはとても初めてとは思えなかったので「最初の客」と言うのは多分ウソだったのだろう。

ともあれ、そんな思い出もある Twilight、そして Soi Twilight。誕生から50年以上が経過し、建物の老朽化は明らかだった。発展著しいバンコクの中で、都会のど真ん中に残った「日本的に言うところの昭和」だったのだ。閉鎖を知らずにかつての Soi Twilight の前に張られた壁紙を見て唖然、呆然とする観光客も後を絶たない。移転先は Silom通りの Soi 4(ここもゲイ通り)や斜め向かいの パッポン2通り。そこには、世界中のゲイで賑わったかつての光景は見られない。

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現在のパッポン2通り。Hotmale, Dream Boys, Fresh boysなどは移転したが、
ストレートの店と混在しているのでゲイにとって居心地は良くない。

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Soi Twilight の入口の様子。
既に廃墟となっており、閉店後半年以上経っても何も手は付けられてない。

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