ゲイ雑誌の投稿欄が唯一の出会いの方法だった時期は4年位続いたので、ちょうど俺の大学生活とかぶってることになる。ゲイバーには何度か誘われて行ったが、酒が苦手だった俺は一人で行く気にはなれなかった。薔薇族に始まり、アドンやサブも買ってみたことがある。雑誌は違えど投稿欄はあまり変わらなかった印象かな。特に薔薇族とアドンでは明らかに同一人物と思われる人が投稿してた。

正確には思い出せないが、多分、30人位の人とは雑誌を通じて会った。一回会っただけの人が半数以上・・いや6〜7割位になるかな。大半は俺が乗り気で無いことを感じ取りフェードアウトした。数回会った人も大体同じ感じ。一回会っただけでも前の記事に書いたようにディープなエッチをした人も居れば、何度も会ってもエッチ無しの人も居た。ざっくり言って、半数くらいの人とは何らかのエッチをしたような気がする。ウケた相手は5人、リバった関係は2人だったかな。

当然ながら今でも付き合いがある人は居ない。良い関係になって何度も会った人は居るけど、理由はともかく寂しい別れを経験したわけで、そんなことは思い出としてここで思い出したくも無い 😅 エロエロな思い出話のブログなので、エッチな関係になった人だけを取り上げることにする。

自慢するわけでは無いが、小学生の頃から真面目で勉強ができる子として学校でも一目置かれる存在だった俺。親の期待に応えるべく努めて“良い子”を通し続けていたのだが、大学入ってから解放された気持ちになった。自分の思うとおりに生きてみたくなった。そして初めてゲイ雑誌を買ってみたのだ。とは言え、高校時代に公園のトイレでオナニーしてたことや、そこでオッサンに見られてやられたことなど、秘めた部分はそれはそれで持ち続けて。。。誰かに見つかるかもしれない・・という怖さも俺を興奮させてたのだと思う。それはこの年になった今でも変わらない。

大学三年の時だったか、3人の人と付き合ってた。付き合いと言っても恋愛感情があったかどうかは定かでは無い。少なくとも会ったときには愛し合い、互いの事は深く詮索しない・・という関係だった。今で言うならセフレみたいなものか。この3人とは同じ時期に投稿で知り合った。『時々エッチできる関係の知り合いが欲しい』みたいな投稿に返信をくれた3人だ。他にも手紙は来たけど、二回目以降も会ったのはこの3人だけなのだ。

一人は30代の誠さん。スレンダーな体型で清潔感あって初対面から憧れの存在になった。半年くらいは続いたかな、最初は1,2週間に一度のペースで会ってたのに徐々に回数が少なくなりフェードアウトした。会ってヤルことは同じだし、多分互いに飽きてきたのかも😝 誠さんはリバだったので、俺がタチることもあった。俺に掘られてるときの誠さんはエロかった。まるで女になったかのように・・。若い頃は色んな人にやられてたんだろうな・・と一人で想像。まぁ俺も似たようなものだったが。

次はいつも俺の部屋に遊びに来てた20代後半の亮さん。エッチすることもそうでないときも。一番自然体で付き合いできてたように思う。俺が風邪を引いて寝込んでたときに看病してくれたのも彼だ。でも、彼には秘密があった。ある日、急用ができて会えなくなったので電話をした。すると、出たのは女性で、なんと彼の奥さんだったのだ。その後、亮さんが家に来た時に隠してたのを謝ってくれた。でも、何だか気まずくなってそれっきりになった。

そして最後は伸吾さん。彼は自営業の自称40代半ば。少しガッチリ体型でバリタチ。持ちモノもかなりガッチリ 😝で、俺のケツは彼に仕込まれたと言っても過言では無い。😅1年位は付き合いが続いた。伸吾さんとは別れた意識は互いに無くて、実はその後も年に1,2度突然連絡が来て会うことがあった。最後に会ったのは俺が30歳になった頃。東南アジア放浪の旅を思い立たせてくれたのが伸吾さんだった。彼にはタイやシンガポールの話、バックパック旅行の話を良く聞かせてもらったから。

そして、この3人との出会いを最後に薔薇族を買うことも無くなり、新しく出た Badi に移るとともにパソコン通信にのめり込んでいった。そう言えば、Badi も今月発売号で休刊が決まったらしい。ネットに押されてゲイ雑誌は消えていく運命なのか。