かつて、ゲイにとって天国とも言われたタイ。バンコクには GoGoBoys バーが建ち並ぶ歓楽街があったり、数多くのゲイサウナ、そして Men's マッサージなど、ネット上でもそんな話題が沢山あり世界中のゲイを魅了してきた。そんなバンコクでも、ゲイ産業衰退の象徴的な出来事が起こっている。

日本人には特に有名なパッポン通り。その直ぐ近く、Surawong通りを挟んですす斜め向かいにある通称 Soi Twilight(正式名は Soi Pratuchai)が GoGoBoys 街だった。100m程の通りには数多くの GoGoBoysバーやマッサージ、レストランなどがあって、世界中から集まったゲイで賑わっていた。それが、今年の春頃、老朽化・再開発の為に通りを含む一帯が全て閉鎖になったのだ。そこにあった GoGoBoysバーは一部移転した店もあるものの多くは閉店を余儀なくされた。

そもそも Soi Twilight とは何なのか。Soi はタイ語で大通りから別れた“小路”を意味するので、Twilight通りとなる。英語を直訳すると「黄昏通り」となり趣がある。が、それは全くの誤りで、Twilight というバーがあった通りなのだ。

バンコクで最初のゲイバーが誕生したのは1950年代後半だと言われている。そして 1966年頃に「Twilight」がオープンした。指名したボーイをオフ出来るシステムを初めて採用したバーで、日本で言うなら「売り専」みたいなもので、飲み目的ではなく男の子を買いに行くバーだったのだ。その後、次々に同様のバーやエスコートクラブなどが誕生し、バンコクのゲイ産業が繁栄していった。その老舗だった Twilight も 2000年頃に香港系に買われて Hot Male になってしまった。インターネットが普及しだした頃で、マイクロソフトの Hotmail に絡めて名付けられたのは明白だった。こうして、Twilight バーは無くなったものの、通りの通称だけは Soi Twilight として残ったわけだ。

俺が初めて行った GoGoBoysバーは Twilight だった。当時、一番の有名店で繁盛してたのは Boys Bangkok だったと記憶しているが、Twilight は通りに入って直ぐ左手、階段を上った所に入口があり入りやすかった。店が2階にあったのには理由があり、当時も抜き打ち的に警察の取り締まりがあったので、1階の階段上り口に呼び込みを置いて見晴らせていたという話を聞いたことがある。

初めての GoGoBoysバー、白いブリーフをはいただけのボーイ達が狭いステージの上に所狭しと立ち踊っている。ブリーフには番号カードが付けられていて、気に入った子がいると呼んだりオフできたりするのだ。時々、黒服といわれる店員が気に入った子が居ないかどうか確認に来る。ボーイとの交渉も全てやってくれるのでタイ語がわからなくても困らない。2度目か3度目に行ったときに初めてオフした。田舎から出てきたばかりの二十歳過ぎの子だったが、もちろん英語は全くわからず、オフしても会話は無しに飲んで食事してセックスするだけだった。黒服によると、その子にとって俺が最初の客だったらしい。おそらく、セックスの際も教わったとおりに接客してくれたのだろうけど、俺にはとても初めてとは思えなかったので「最初の客」と言うのは多分ウソだったのだろう。

ともあれ、そんな思い出もある Twilight、そして Soi Twilight。誕生から50年以上が経過し、建物の老朽化は明らかだった。発展著しいバンコクの中で、都会のど真ん中に残った「日本的に言うところの昭和」だったのだ。閉鎖を知らずにかつての Soi Twilight の前に張られた壁紙を見て唖然、呆然とする観光客も後を絶たない。移転先は Silom通りの Soi 4(ここもゲイ通り)や斜め向かいの パッポン2通り。そこには、世界中のゲイで賑わったかつての光景は見られない。

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現在のパッポン2通り。Hotmale, Dream Boys, Fresh boysなどは移転したが、
ストレートの店と混在しているのでゲイにとって居心地は良くない。

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Soi Twilight の入口の様子。
既に廃墟となっており、閉店後半年以上経っても何も手は付けられてない。