あの頃の俺は何もかもが嫌になってて、30歳を過ぎて区切りも付けたかったので会社を辞めて東南アジア放浪の旅に出た。バンコク行きだけは決めて帰りはオープンチケット。期限も決めずに出たのだが、結局は東南アジアの生活にも飽きて三ヶ月で帰国した。

最初の一ヶ月はバンコクに居た。ビザ無しなので一度国外に出ないと滞在延長できないのを知り、一旦クアラルンプールに行って一週間過ごした後でまたタイに入国した。再び一ヶ月が過ぎる頃に今度はシンガポールで一週間居たあとでタイに戻った。そういう繰り返しも面倒だったし、さすがに将来が不安になって三ヶ月で帰国したのが正直なところだ。

飽きた・・と書いたが、マンネリ化した毎日だったが楽しかったねぇ。気の向くままに一日を過ごす開放感というか、精神的にも肉体的にもストレスが無い最高の時間だったように思う。バンコクならもう勝手知ったる街だったわけで、食欲も性欲も全てが何不自由なく満たされてたかな。😆

当時はアジア通貨危機でタイも大ダメージを受けてタイバーツも暴落、1バーツが2円台前半ばになってた。バックパッカー御用達の安宿だと一泊500~600円のレベル。何泊はしてみたけど流石に長居はできずにシーロムのホテルに移った。それでも一泊朝食付きで 2,500円程度なので滅茶苦茶安くて助かった。あのホテル、ゲイ雑誌にも広告出してたくらいだからお仲間とわかる人も結構居な。朝食時、若いタイ人女を連れた日本人親父が沢山居たのにはちょっとねぇ〜って感じ。ジョイナーフィー(連れ込み料)もなかったから仕方ないか。

朝は朝食を食べるために少し早起き、8時頃には目を覚ました。朝食の後はパソコン。LANやWiFi も無い時代だから電話回線でインターネットに繋いでた。今では考えられないほど遅かったけど、情報収集とエロサイト周りするには十分だったかな。飽きたら屋上のプールに行って寝る。腹が減れば外に出て屋台飯を食う。一食あたり100円もあれば腹は満たされた。

午後はシーロムからチャオプラヤ川方面をブラブラと当ても無く散歩するか、どこに向かうのかもわからないバスに乗って少し遠出。バス代は10円位だったか。バスの番号を覚えてて別の路線に乗れば色々な所に行けた。タイだから寺院が多いわけで寺院見物もしたけど、それが何寺院だったのかは知らない。写真見てもどれも同じに見えるしな。😝

一日の食費に100バーツ位しかかけてないのに、気が向けばというか体が求めればゲイサウナ(100〜150バーツ)にも良く行った。マッタリするのに最高の場所だったし、もちろん性欲も満たされる。あの頃って太めガッチリ系よりスリム体型の方が好まれてた印象で、ゲイサウナではやれずに帰ったことは無い・・・と、自慢。😝

あの頃行ってたサウナは、Heaven, Obelisks, Adonis, Angelo, C.O.A., Coloy, Babylon 位かな。暇だったので アクセスが良くない Sukhothai sauna も探して行った。それぞれ良い思い出はあるが、今となっては、どの時期に行ったことなのか定かでは無い。
(つづく)